ずっとVacation

毎日やっていくぞ

日記:0214

2/14

祖父の墓参りにようやく行けたーっ 今日は2月にやりたかったこと(墓参り)を出来たのでもうよしとします。 あとは本のために原稿を書くだけだーーーーーという気持ちです。 仕事はようやくぼちぼち入り始めました。そろそろ英語を勉強しないと仕事に支障が出そうです。

墓参りに行った後、街の方に出て食材を買うなどしたのですがバレンタインなのでひとが多かった。スタバで永井均の『私・今・そして神』を読んだのですが、 主題に興味が湧かないまま読了。

哲学科に入る人の中には、論理を組み立て隙のない議論をするのが好きな人や、実存的な悩みや不安から 哲学をやらざるを得ない人(わたしもこのパターン)、単純に思考実験が好きな人(世界五分前仮説とかトロッコ問題) などさまざまなタイプの哲学好きの人がいます。 本書を読んで、永井均は、既存の哲学者の議論を参照しつつ、最終的には素手で思考実験するのが好きなのかなーっと思った次第です。 わたしは他人の曲がりくねる思考を丹念に補助線を引きながら追うのは苦手なので、(特に興味がないテーマなら尚更) 永井均氏の著書を読むのはしんどかったです。 並行して読んでいる國分功一郎氏の暇倫(『暇と退屈の倫理学』)の方がよっぽど楽しくきちんと読めている(と思う。)

國分功一郎氏の本はいままで手付かずだったんですけど、文章が整理されていて読んでいて気持ちがいいです。 いままで食わず嫌いして読まないでいたことを若干後悔しました。中動態...の本が流行っていた時にリアルタイムで読むべきだったか?

とにかくわたしは、人文科学でテーマを持って論じる場合はある程度読み手に伝わるような明晰さのある文章が好きなのだな、と気づけたので よしとします。全ての読書から学びを得よう。

ま、これはわたしの哲学の知識量やテクストに対する集中力のなさをこういう言葉で誤魔化しているだけかもしれませんが。 一般の読書好きなので好き勝手に言えるのがいいですね。アカデミズムに所属しているとテキトーなことが言えないので。(テキトーなことを言う大学教員ももちろんいますが。)