トリプルファイヤーの「ちゃんとしないと死ぬ」という曲を、学生時代はよく聴いていた。最近は新しい人間と出会ったり、依頼した業者の思わぬハプニングが続いていて、気落ちしている時に、脳内でふたたびこの曲が流れるようになった。
「ちゃんとしないと死ぬ」という脅迫感の中で生きている時間が思春期ではままあったが、それを成人してからも、やや引きずっている気がする。マイペースで人に合わせるのが苦手。誰かといるよりも自分といる方がすき。そんな自分を中高で貫き通すことができず、過剰適応で乗りきった。「ちゃんとしないと死ぬ」。そんなわけないと思っているのに、このコミュニティから疎外されるかもしれないと不安でどうしようもない。学生時代なんてもう昔もいいところなのに、いまでも当時の不安が蘇ってくることがある。大抵は人前でうまく喋れなかったとかそういうのだ。最近だと大学院の口頭試問がそれに該当する。終わった後、結構な期間、悶々としてベットの中でもがいたりしていた。30代になってだいぶ見苦しいが、生きるとはそういうことなのだ。自分への期待値が高いのではないか、と配偶者には指摘されたが、おそらくそうなのだと思う。病になり、普通のレールから外れた今も、「ちゃんとしないといけない」という固定観念がわたしの中にはうっすらのこっているのかもしれない。気落ちしていると、脳内の誰かが「ちゃんとしないと死ぬ」と歌い出す。
しかしながら、年をとってよかったことといえば、リアルタイムで聴いていた時は、「ちゃんとしないと死ぬからなあ!」と恐怖に慄きつつ震えていたが、そこから10年近く経って、ふと我に帰ると、「案外ちゃんとしなくても死なないしなあ!」と思えるようになったことかもしれない。それは学校という世界を飛び出して、ちゃんとしている人もちゃんとしていない人もたくさんいる場所で自分が歩んできたからだろう。
以前わたしが住んでいた東京の下町は、カオスといって差し支えないほどの場所であり、商店街にはぼったくりの自然食品を高齢者相手に売るお店と、謎の何を売っているのかわからない小物屋と、夏には日サロ代をケチるため半裸で出歩いているおじさんが大量に溢れていた。引っ越してきた当初はその混沌さに圧倒され、「ここには長く住めない!」と泣き喚いていたが、徐々に適応し、アディダスとナイキの柄がド派手に入った服をてんでバラバラに上下で合わせるという禁忌をおかしてもなんとも思わないくらい適当な人間になった。圧倒的成長である。わたしには、その良い意味での適当さ、カオスさがかえって居心地よくなっていたのだ。
その街でわたしが受け取ったことは、「ちゃんとしてなくても生きていていいのだ」という圧倒的な承認だった。「ちゃんとしなくてもいい」「ちゃんとしなくても存在してもいい」という下町のおおらかさが、わたしの凝り固まった世界を溶かしたのだと思う。「ちゃんとしなくても死なないじゃん!」という気づきは、どんな人間がいてもいいのだという多様性に根ざしていた。実際、家のほど近いところにインターナショナルスクールが何軒か存在していたし、外国人の居住者も多い地区だったのもある。他にも大規模な団地や、残留孤児の人々を診察する病院などがあり、さまざまな国籍や人種に開かれていた土地だった。
もちろん、負の歴史も過去にはあったがそれについてはここでは言及しない。しかし、この多様性に開かれた場所で、タワマンと団地と戸建てと商店、さまざまな人々がいる場所で過ごすのは、人々との摩擦を感じつつも、「どんな自分であってもよい」という承認を感じられて好きだった。「ちゃんとしなくても死なない!」という自信を与えてくれた。
時折、こうして自信をなくして「あー自分だめだー。」「やっぱりちゃんとしないと死ぬのか?」と思う時もあるが、あの街に流れていた、清濁合わせ飲む混沌とした空気を思い出したら急にあたまがすっきりしてくる。あ、ちゃんとしなくても死なないのだ、と自分を立て直せるから不思議だ。ちゃんとしなくても死なないのだ。大丈夫、大丈夫。
「ちゃんとしないと死ぬ」という内面化された規範をぶち壊すためには、「ちゃんとしななくても死なないんだ」と思わせてくれるような人々や文化と出会うことがわたしにとっては大切だったみたいだ。ちゃんとしなくても死なない社会の中で、これからも生きていくんだ。そのために、自分も時として「異邦人」となることを恐れない。「異邦人」であることがコミュニティにとって良い方向で働いているということをもっと自覚すべきなのだろう。なんて思った。異質であることもプラスに受け入れよう。






