ずっとVacation

毎日やっていくぞ

ZINEフェス横浜に出展した

直前にバタバタしていたのでブログでは告知ができなかったのですが、実は2/15に横浜は大さん橋で開催されたZINEフェス横浜に出展していました。

 

イベント終わりの大さん橋。素敵な会場だった。


昨年プライベートでバタバタしていたので約1年ぶり?のイベント出展だったのですが、つつがなく終えられてよかったです。本当に。
わたしの新刊は出せなかったのですが、配偶者の新刊の日記本『本牧異国日記』を無事頒布することができました。
横浜が開催地でのZINEフェスは年に一度ということで、東京から神奈川県横浜市に居を移したちょうどよいタイミングで出展できてラッキーだったかもしれません。

個人で日記なりエッセイなりを書いて本にして頒布するとなると、いままでは文学フリマがその筆頭として挙げられる主要なイベントだったと思われるのですが、ここ最近は、文フリに参加するサークルも一般来場者も増えすぎてしまって、(ビックサイトがあんなに人で埋まるなんて……)以前と空気が変わってきているこのタイミングで「ZINEフェス」というイベントは良い選択肢のひとつなのではないかと思います。

ほどよく買い手と売り手が交流でき、出展者同士でもコミュニケーションできる余地があります。(わたしはZINEフェスイベントの出展者に課せられている「お手伝い」枠がけっこうすきなんです。お手伝いを通して他の参加者とコミュニケーションできる良い時間……。)

ZINEフェスの運営もどんどん進化していっているので、ほどよいゆるさがありつつもイベントとしても拡大していっており、今後私たちのサークルも文フリからZINEフェスへ出展する場を変えてもいいかもしれないな、なんて思ったりしました。みんなZINEフェスにも行ってみて!


 横浜と東京のZINEフェスの違いは……?

浅草でのZINEフェス東京に参加している(た)出店者さんも多く、横浜と浅草で大きく雰囲気が変わるようなことはなかったですね。
横浜の方が会場が広かったからか、人流もややゆったりとしていて混雑もそんなにひどくなかった印象。
私たちのサークルは横浜を打ち出した新刊を頒布していたのだけど、「横浜」で反応してくれるお客さんがそれほど多くなかったのが意外な点ですね。
ご当地ネタを求めている来場者さんよりも、純粋にその人の関心や興味に近いZINEを探している人が多いのかもしれない。

 

購入したZINEと会場でいただいたフリーペーパーなど

【購入したZINE】

 

・『生きている実感が欲しくて川を歩いている』/地図子 著

わたしは元江東区民で、かつての住居は川の前だったのでビビッときて購入。

川をひたすら歩いている方のエッセイ。川を歩くのって楽しいんですよね。季節によって景色も変わる。

 

・『労働厨』/るこ 著

瑞々しい感性のZINEだった……!タイミーにハマり、一年で180ヶ所(!!?)異なる場所で働いた女性の気づきをまとめたエッセイ。自分が現代の労働の価値観に染まってしまっているなーと読みながら気付かされた。労働に悩んでいる人にプレゼントしたい。

 

・『ZINEフェス直前にめっちゃ負傷した話』/らいがし 著

茶封筒に入れられたZINEという体裁が気になり購入!わたしはよく大切なイベント前に怪我をしてイベントをキャンセルしがち……なので親近感を覚えたというのも購入理由のひとつ。同じ方が出されていたyoutube収益化のZINEも家に帰ってから気になりだしている……。


PayPay決済を導入し、会計が楽になった

以前ブログの記事にも書いた通り、今回のイベントから現金だけでなくPayPayでの決済方法も導入してみましたが、概ね好評でした。
な、なんと、私たちのブースで買ってくださったお客さんの約半分の方がPayPay決済を選ばれました。(!!!)  
即売会のようなイベントでは、参加する側も事前に小銭を用意したり細かいお札を用意したりとすこし手間が増えるわけですが、出展者側がキャッシュレスで決済できる方法をいくつか導入しておくとやっぱり楽ですよね……と実感。

今回わたしたちもお札の釣り銭をたくさん用意できず、釣り銭で手間取っていた時にお客さんから「PayPayで買いますよ!」と言っていただき大変助かりました。
出店する側としても釣り銭を大量に用意する手間が省けるので、便利になりました。

 

当日の設営の様子。わかりやすい場所にPayPayのバーコードを置いてました。

 

PayPayは手数料も割安なので、キャッシュレス決済の導入としておすすめです。
お店の住所も非公開にできる仕様なので、より個人の小売業者として登録しやすくなりました。

紹介コードもこっそり置いておきます。

A1713954

今後の課題やら展望やらにいろいろ気付いたりして

今回久しぶりにサークルとして出展して、「お店」の内側の椅子に座りながらぼんやり考えたこと。
自分が創作活動を通してどうなりたいのか、具体的な展望を持っていないということにね、気がついたんですよ。今更といえば今更なんですが。

初めはただ単に「文学フリマでなにか売ってみたい!本を作ってみたい!」という純粋な欲求から始まり、「どーせならふたりでやってみよう!」というノリから配偶者も相乗りし二人で始めたサークル活動だったわけですが、特に目標やロールモデルなどをつくることなくここまで走ってきました。楽しい!おもしろい!という幼い頃に感じた創作の楽しさからポッドキャストまで作っちゃったりして。

しかし、ここまでは無目的にその場で感じられる感情のままやってきた創作活動だったわけですが、サークルとしての活動も約3年続き、いままでやってきた創作活動を通して自分はどうなっていくのか、どうなりたいのか、自分は何を読み手に届けたいのか?というのを真剣に考えてもいいのではないか、という思いが胸に去来したわけです。

ZINEフェスにはプロのクリエイターの方も多く参加しており、その中でも、もっと自分の個性を磨いて自分の創作の軸を見つけたい!という強い気持ちがむくむくと湧いてきたのかもしれません。
いままではその時その時で関心のあること、自分が今一番HOTだと思っていることをアウトプットしてきたのですが、果たしてこのままでいいのだろうか?と若干慣れてきたサークル参加に刺激を求めているのかもしれません。

ZINEを作り、読み手の方から感想をもらい、手に取った関係者の方がラジオ番組で紹介してもらったり、憧れの下北沢の本屋さんに置いてもらったりと、勢いで始めた創作活動は多くのことをわたしにもたらしてくれました。
今後も続けていけばきっと考えもつかない未来へと導いてくれるだろうという予感だけがありますがーー、自分が何を表現していきたいのか、2026年はじっくり考えつつ、またZINEやらフリーペーパーやら出していけたらいいなあという気持ちです。

 

告知、BOOTH通販します

そいでもって……
今回、ZINEフェス横浜で初売りした『本牧異国日記』ですが、BOOTHのほうで若干数ですが委託販売しております。
わたしではなく配偶者が横浜は本牧という、かつては米軍の居留地であった土地で暮らした2025年の約半年間の記録の日記本です。
おまけにZINEフェス横浜で配布したフリーペーパーのPDFもついてきます。
こちらには横浜中華街や元町、本牧エリアで実際に食べ歩いておすすめの飲食店情報を載せています。
裏側にはわたしの最近聴いているラジオ番組なども。

よかったらぜひチェックしてみてください。

 

zuttovacation.booth.pm

 

 

ザ・ノンフィクション「結婚したい彼と彼女の場合 ~令和の婚活漂流記2026~」前編・後編を観た

ZINEフェス横浜の準備の合間に、ずっと楽しみにしていたザ・ノンフィクション「結婚したい彼と彼女の場合 ~令和の婚活漂流記2026~」前編・後編を観た。


講談師の神田伯山が以前ラジオ番組「問わず語りの神田伯山」で言及していた婚活シリーズの最新作。わたしは当時この番組をリアルタイムでは見れなかったものの、神田伯山の、「若い頃に斜に構えて恋愛映画を10本観るのではなく、好きな人に振られてもいいからぶつかってみて、実際の恋愛をすべきだった。」という語りにいたく心を動かされ、それからこの婚活シリーズの最新作を待っていたのだった。

 

番組の内容はわかりやすく、結婚相談所にやってくる年齢も職歴も、そして結婚への期待もさまざまな男女に密着したドキュメンタリーものである。前編、後編を通して様々な男女が登場してくるが、今回は31歳の介護福祉士の男性、久保さんをメインに番組が進行する。

 

婚活をする上で久保さんに立ちはだかっていた壁は、「年収」である。

久保さんは婚活市場ではそう高くはない年収により、婚活女性たちから「良い人なんだけど、将来が見えない……」と言われ断られまくる。デートで「結婚したら新宿のそばに住みたい」と年収600万の女性に言われてるシーン、うわあってなった。新宿のそばに二人暮らしとなると家賃20万は軽く超えてくるのでは……? 年収という数字が久保さんを殴りまくる。年収、職歴、学歴、スタイル、年齢。これらの要素で判断される。これが婚活の現実なのだ……


それでも久保さんはめげない。

いまいち垢抜けない久保さんに、婚活相談所の植草女史がスパルタ指導し、外見を整え、女性へのアプローチを見直し、年収を上げるために必死に努力している様はこちらもつい応援したくなってしまう。

久保さんは学生時代に難病の潰瘍性大腸炎にかかり、大学も中退。紆余曲折あった上で介護福祉士という職業を選んだ。彼は決して適当に生きていたわけではない。誠実だし人柄もよさそうだ。ただ、婚活市場では苦戦を強いられている。

 

そして年収2000万、専門職勤務の女性とマッチする。久保さんの人柄が決め手となり、彼女と仮交際まで進むことができたが………。というのがあらすじ。

 

前編・後編を通して、久保さんが通う結婚相談所、マリーミーの所長の植草女史が敏腕ですごい。
恋愛経験がほぼない久保さんに身だしなみやデートの服装、そして意中のお相手と釣り合うための心意気のアドバイスまで。振られた時のフォローだって完璧だった。


今回舞台になった結婚相談所のシステムってなかなか独特で、相手の女性から断られたらもう2度と会うこともできない。仲人を通してお断りのメッセージが届くだけ。


相手に対して気持ちが残っていたら下手したらストーカーになりかねないような心理状態になるだろうに、仲人の植草女史の久保さんへのメンタルケアも万全だった。

恋愛で相手のことも自分のことも客観視できなくなっているときに、はっきりとアドバイスしてくれる第三者の立場って意外と貴重で、この結婚相談所はそういう潜在的なニーズにしっかり応えているように思われた。

 

数年前のオードリーのANNで、「人間関係不得意」とだけ送ってきたハガキ職人の男性に、オードリーの若林さんが「好きな子と恋愛して振られてこい。振られた時に、なんで自分がだめだったのか一つだけでもいいから教えてもらえ。」と言っていたことがある。

若林さん曰く、「好きな子からのダメ出しが一番心にくるし、直さないとダメだと思える。」からだそうだ。(※かなり昔の記憶なのでざっくりとした内容です)

聞いていた当時は「ふーん、そんなもんか。」と思っていたけれど、意中の女性にパートナーとして認めてもらうために必死に頑張る久保さんの姿を見て、若林さんのその言葉が急に思い出されたのである。

結局久保さんは好きになっていた年収2000万の女性からあっさり振られる。久保さんは彼女に釣り合う男になろうと、転職もして年収もあげた。でも恋は実らなかった。振られたことを植草女史に電話で告げられ、男泣きである。

しかしこれを糧にまた次の恋へと歩き出すしかない。結婚相談所に所属している以上、結婚が目標なのだ。泣き出す久保さんに、植草女史が寄り添う。

植草女史、本当に名コーチなんだよね。婚活名コーチ。非モテ男性へのアメとムチ、女性への対応の仕方、そしてうまく男性をその気にさせて次の試合(マッチング)へと進めさせる。ここまで番組を観ていると、婚活がもう何かのスポーツの試合かのように思えてくる。参加者はみんなアスリートなんですよ。自分の持てる武器で戦い、最大限の望む形で結婚という勝利をもぎとるために戦う。……あれ、結婚ってこんなにハードなものだったのか……?

わたしの両親の頃よりも、「結婚しない」という選択肢も男女共にメジャーになってきてくなかで、結婚することがより難しくなっているのだなと感じざるをえない。自分を変える覚悟のない者は即退場。シビアだ。

 

久保さんは最後、「なぜそこまでして結婚したいんですか?」とスタッフに問われ、

「病気になってから人との接触も避けてきて、友人もいない。結婚することによって、自分だけの味方ができたらいい……」と答える。なにがあっても自分だけの味方でいてくれるひとがいてほしいという切実な望み。

 

まあ、結婚してもパートナーが自分の味方になってくれるとは限らないけどね、なんて今の神田伯山は言いそうだなと思うなどした。夢と現実はいつも違う。

 

にしても、ノンフィクションはわたしたちが想像している物語とは全く別の物語を映してくれるので毎回面白いし、現実は想像よりも複雑で、納得できる結末なんてないんだというのを思い知らされる。

まるで砂や石がついてるボイルほうれん草をむしゃむしゃ食べているみたいな気分になる。ドレッシングをかけて食べてたのに、口の中で噛むと石が歯に挟まる。すんなり咀嚼できない物語こそが現実で、わたしが普段観ているドラマや漫画なんてだいぶ陳腐なんだなと感じるざるをえない。

 

ザノンフィクションウォッチング、当分楽しめそう。

 

【他の見所】

・スーパー金持ちの子女が炭酸水で犬のおしっこを流しているところ見て、「炭酸水ってそんな使い方するんだあ……」となる。

 

・50歳のおじさんで30歳代の子とマッチングすると思っているのは流石に現実が見えてなさすぎて怖い。結婚の動悸が「自分のお墓を守りたい」なのも怖い、恐怖しかない。怖すぎて尺がない。現実がここまで見えなくても人間は生きていけるのだ。それがすごい。ボタンを掛け違えまくっている。

 

・久保さんが2000万女性とのデートでよれよれのTシャツにパンツなのは流石にあかんやろ、と思ったがこれ本人はなかなか気づかないものなのか?まあだから結婚相談所にきているのか……。

 

・植草女史と娘さんの顔がそっくり。

 

 

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生活者として自炊訓練をしてみる

食事をするのが苦手だ。もっといえば、自分のために食事を作るのが苦手である。


苦手、と書いたけれど、苦手を通り越して「無関心」に近くなっているかもしれない。
関心がない、興味がない。


美味しいものは好きだ。外で食事をする時、けっこう念入りにお店を調べる。付き合いが長い友人にも「グルメだね。」と言われる。自分でもなかなか良いお店を知っている方だと思う。コストや時間をかけているほうかもしれない。
ひとはわたしに「それはなぜ?」と問う。
わたしのなかで、外でする食事と家でする食事は、ハレとケの関係にある。
非日常と日常。ハレの日の食事はこだわりたいけど、ケのタイミングでは適当でよい。
わたしはその陰影がひとよりもはっきりとあるだけなのだ。

「……にしても、君の食事は質素すぎる。それでは餌だよ。」
一緒に生活している配偶者に言われて、そうか、と思う。うーん、そうか。
そのときのわたしは、栄養学や東洋医学(ちょっとあやしい)などにハマっていて、昼ごはんは毎日プロテインゆでたまご、きゅうりなどの生野菜のみで過ごしていた。
断食や少食にもハマっており、食事を抜くこともしばしば。低血糖でふらふらしているのがきもちいいと感じていた。(あぶないから真似しないように!)
放っておくとそんな感じの食事をくりかえてしている私を見かねた配偶者は、一品、「料理」を作ってみせた。ケンミンのビーフンの麺と冷凍豚肉、葉物の野菜を組み合わせた簡単な昼ごはんだった。
「これでいいから、料理をつくって食べて!」
ゆでたまごより腹は膨れた。
わたしにとってかなり高いハードルだったが、コロナ禍で毎日一緒にいたこともあり、配偶者が作っている様子をみることでなんとか見よう見真似でできるようになった。
わたしの自炊の真似事のはじまりである。

 

 


「自分が作ったご飯を食べてうまいと思ったこと、あんまりないなー。わたしが作ったからおいしいのではなく、(作る際に参考にした)レシピが美味しいのだから。」なんて思いながらタイムラインを流し読んだ。
すると、このポストにリツイートがついて再びわたしのタイムラインに現れた。

 

 

こころのnote@精神保健福祉士
@case_study_labo
精神保健福祉士として、そのお考えには深く共感しています。

弊入所施設では「自炊訓練」というプログラムがあるのですが、​「自分が作ったご飯を自分で食べて、うまいと思う」この一連の過程てはとてつもないセルフケアが込められていると日々感じています。


・自分の手で、目の前の食材(現状)を変化させ、良い結果(食事)を生み出せたという実感が自己効力感に繋がること。
・誰かに評価されるためではなく、「自分のために」行動し、その結果を自分で味わう主体的な行動。
・自分の身体と心に栄養を与える行為を、自分自身の手で行うセルフ的なマネジメント。

自分のご飯が美味しいと感じることが、自分の感覚を信じてもいい、自分は自分を喜ばせることができるという自信に繋がります。
自炊はとても尊い行為で、その過程はたくさんのステップが含まれていると思います。

 

ほお。

わたしが創作活動について感じていたことと似たようなことが書かれている。
ZINEをつくる創作活動も、自分の手で目の前の現状を変化させ、良い結果を生み出せたという実感をわたしの中に起こした。夢から現実へ。


自分の頭の中にちらばっていることを、現実の物質的な何かへと変換できたときの高揚感。自分にもまだこんな力が残っていたんだ、という大きなエンパワメント。
これらは、ZINEを作らなくても、自炊で味わうことができるらしい。
わたしはZINEを作っている時以外は凪の状態で仕事をし、水泳をし、なんとか家事をして、生活している。配偶者とのんびり楽しく過ごしている。たぶん。でも、なんだか足りないのだ。切実さや燃えるような心が、ときめきが、刺激が。
それはひとつには自分を包む無力感のようなもののせいでもあるし、加齢に伴って活力が低下しているせいでもあるだろう。でも、自炊訓練によって「つくる体力」が少し増えたら。

自分のことを肯定し、穏やかな自信を耕せたら、きっと何か変わるんじゃないか。

そんな気がしたのだ。うーん、いっちょ腰据えてやってみるか。

 

ということで自炊訓練日記、はじめまーす。

 

 


★個人的なルール

・配偶者も一緒に食べる料理の調理は自炊訓練にカウントしない。純粋に「自分のために」つくった食事のみ「自炊訓練」とする。

・料理を食べながら感じることにフォーカスするため、自分で作った料理を食べている時は動画視聴やインターネットサーフィンを禁じる。

・つくっているとき、つくっているあいだ、たべているときの感情の揺れを感じる(ようにする)。

・短くてもメモや記録を残す。

・わたしはうまいかんじに着地させようとする癖があるが、それはなるべくしない。やおい(やまなし・おちなし・意味なし)な感想でも書くこと。

人生に切実さが足りない(気がする)

ここ数年、なんだか心にぽっかりと穴が空いているような感覚があって。

長い間、心にあるその穴のまわりをぐるぐる回って、別のものでなんとか埋めてみようとしたり、そのまま放っておいてみるかと無視してみたりした。心が満たされたようにかんじるときもあれば、「自分、無理してんなー」と思ってただただ疲れるだけのときもあった。
最近は、「満たされているんですけど、心の真ん中に穴が空いてるんですよ。」と人に言えるくらいには対象と距離がとれてきたようで、このまま、穴は穴としてわたしの心に存在し続けるのだろうという覚悟や諦めが生まれてきた。

だけどある時突然、その穴がなぜできてしまったのか、雷に打たれたみたいにわかったのでここで記しておきたいと思う。

わたしは数年前からK-POPにハマっており、まぁ割と色々コンテンツを見る。
アイドルになるためのサバイバルオーディション番組(通称、サバ番)も好きである。その中でアイドルを目指す彼・彼女たちや、そんな彼らを指導するトレーナーがよく口にする言葉がある。

「アイドルになりたいという切実さを持って練習に励んでいきたいです。」

「君はアイドルになりたいという切実な思いがあるか?」


「切実さ」。日本語ではあまり日常の会話では使用しないので、はじめは不思議な表現のように思えた。
わたしは韓国語から日本語へ翻訳した字幕や通訳を通して視聴しているので、韓国語を日本語に置き換えたときに一番しっくりくる表現が「切実さ」なのだと思ってその違和感を流していた。
しかし、何度かアイドル関係の番組を観ていくうちに、番組に登場する彼らが「切実」という言葉を使っているのみて、韓国語文化における「切実」とはなんだろうと考えるようになった。切実な気持ち。切実な願い。切実な祈り。

思春期の大事な時期に、なれるかどうかわからない、まるで博打のような不安定な職業であるアイドルを目指して練習する彼らの思い。日本よりも学歴が重要視される韓国で、彼らが進学ではなくアイドルを目指して(時には高校もいかずに)練習に励む彼らの気持ち。一寸先は闇、と感じながらも不安定な状況で心を奮い立たせて夢に向かう。

韓国で活動するアイドルの活動を追っていると、彼らが言ってた「切実」の意味がだんだんとわかるようになってきた。ひりつくような状況でも微かな光を頼りに前を向くということ。まだ10代や20代の彼らが担うには、いささか重すぎる感情だ、と思う。
でも、そんな強い気持ちを持っていないとアイドルのような職業にはなれないのだろう。何百人、何千人という応募の中から選ばれ、国を代表するようなアイドルには。

画面の彼・彼女たちの「切実な思い」がわかるようになってきたとき、では、わたし自身は最近そんな「切実な」気持ちになれたことがあっただろうかと考えるようになった。
学生の時は……あったな。それこそ切実な気持ちで大学受験に挑んでいたし。休学中も、病気が発覚した時も、それこそ魂を削るようなきもちでリハビリに向き合っていた。あれも切実だった。では、今は?

結婚もした。何年もわからなかった病名もわかった。ほぼ痛みも出なくなり、回復状態にある。仕事も無理のない範囲でやれているし、最近は好きなブランドの服も買えている。
配偶者以外とコミュニケーションが少ないのがちょっと問題な気がするが、人と話したくなったらまたオンライン英会話でもやればいい。

書き出してわかる通り、満たされている。平和と安心の中にいる。

実家にいた時は、父親がセンター試験の一週間前に仕事を辞めてきて「大学の学費がない」と言われ、いざ入学できても半年に一回の学費納入のタイミングが怖かった。こどものわたしたちは奨学金を借りてなんとか大学に行っているのになぜ父の浪費が止まらないのか怒りで震えて過ごしていた。その後、父は統合失調症が発病し家で暴れ、鬱で動けなくなり、精神病院に入院した。いやいやながら地元の暗い病院に見舞いに行かされ、なんとかここから這い上がらなくてはという気持ちで必死で大学に通っていた。
そのときのわたしは、一歩足を踏み外せばここから社会的に転落死してしまうという不安と恐怖の中で生きていたのだ。

いまのわたしは、満たされている生活の中で、切実な感情をもって自分の人生に向き合うことが減った。必死にならなくていい。疲れたらソファで寝そべってゆっくりしていてもいい。
安心できている。幸せである。
でも、わたしの心の穴は、そんな「切実さ」がすっかりと抜け落ちてしまった虚無感からきている気がするのだ。「これをしないと死んでしまう」と思うようなことがなくなった。焦りや不安がなくなった。ただ、のんべんだらりと生きている。のんべんだらりでも生きていられるようになった幸福をただ、毎日噛み締めている。あの地獄みたいな日々を忘れて過ごしている。水が美味しい。部屋が暖かい。優しい人に囲まれている。

でも、「切実さ」がない。夢がないのだ。
20代はとりあえず「生き延びること」ばかりを考えて生きてきた。そして回復に差し掛かってようやく、生きることの余剰的な活動として創作(ZINEを作ったりブログを書いたり)ができるようになってきた。次のわたしは?次のわたしがやることは、「切実さ」を持って自分の人生を生きることではないだろうか。かつてのわたしが持っていた切実さを思い出して、でも、今度は安心して帆を進めていこう。
Vivre sa Vie. 己の人生を生きよ。

創作活動の進捗ーPayPay導入、国会図書館への寄贈etcー

年末年始に引っ越しとトラブルでバタついている間に、創作のサークル活動のほうもすこし進捗がありました。


 2/15にZINEフェス横浜にでます。

はい、ということで来たる2/15に横浜の大さん橋で行われるZINEフェス横浜にでます。

note.com

 

東京の浅草会場に次いで2番目に大きな会場ということで人もたくさん来てくれるんじゃないかとうっすら期待があります。はてさてどうなることやら。
わたしの新刊はありませんが、配偶者が横浜での暮らしを綴った日記本を出す予定です。横浜中華街の美味しいお店も、横浜に引っ越してからたくさん開拓しているのでフリーペーパーとして出せたら……いいな……

わたしは既刊のラジオ本と残部少の日記本を持っていきます。

サークル:ずっとVACATION名義です。詳細はまた告知します。

 

paypayを決済方法として導入

ZINEフェス横浜への出店が決まったことで「なにか新しい試みを……」と思い、ブースでの決済方法のひとつとしてPayPayを導入してみました!
わたしはバーコード決済だと、ドトールのクーポン目当てでd払いを利用している(最近はクーポンがなくて悲しい)ので普段はあまりPayPayを利用しないのですが、バーコード決済の支払い方法としてはPayPayはシェアNo.1なんですね。

PayPayはサービス開始当時に情報漏洩があったりしてあまりいいイメージがなかったのですが、時代の流れに乗ってみるのもいいタイミングかと思い、重い腰をあげました。
先人たちのブログを参考にしたのもあって、簡単に導入できました。ありがたや……。

 

PayPayスターターキットが送られてきます

 

PayPay決済の導入がどれくらいZINEの購買率に影響があるのか未知数です。
果たして売上は上がるのだろうか……。
小銭がなくても電子決済でZINEを買えるようになると、イベント後半、手持ちの現金が減ってきたタイミングでも気軽に購入に踏み切れるのでいいですね。わたしもきをつけなくては。。。自戒を込めて。

 


ZINEを国立国会図書館に寄贈

年始のぐったりしていたタイミングでやりました。
原則、日本に存在する頒布目的の本は寄贈を義務付けられているそうです。*1

www.ndl.go.jp

 

作成したZINEを国立国会図書館宛に送るだけなので楽ちん太郎。
関西と東京のどちらにも所蔵してほしかったので、日記本『回復をとびこえて』とラジオエッセイ本『わたし・いま・ラジオ』を2冊ずつ送りました。
郵送の際に、受領書を希望したので後日お手紙が送られてきました。うれしいじゃーん!

おてがみも撮りました。

受領書を希望すると送られてきます。



納本する際には以下のブログを参考にして納品書を書きました。受領書が欲しい人は受領書希望の旨もしっかり書いておきましょう。先人はありがたいね。

akademeia.info

 

これで国立国会図書館サーチでも自分のペンネームで検索すると出てくるようになっています。思わずスクショ。

 

 

サークル名で検索すると……

 

 

 

実は次回作からペンネームを変えようかと思っているのですが、こうして載っちゃうとなかなか変えるのに踏み切れませんねぇ。あはは。


国立国会図書館に寄贈したことで、情報としてわたしのZINEを誰かが参照できる状態になったことが嬉しいです。世の中にはいろんな研究をしている人がいて、数十年後、数百年後にもしかしたらわたしのつくったZINEを研究対象として読んでくれるひとがいるかもしれない……という可能性を考えるだけでドキドキしますね。

 

サークル活動の今後の展望

 ISBN/ISDNコードをつける

ここまで来るとかなり自己満足の世界になってきますが、次の新刊くらいからISBNやISDNコードをつけてみたいな……とひっそり目論んでおります。
ISBNコードは取得がちょっと難しいみたいですが、ISDNコードは誰でも無料で取得できる「国際標準同人誌番号」と言われるもので、導入は簡単そうです。

note.com

 

isdn.jp

 

 

ISBNコードの取得はひとり版元を立ち上げるくらいの気力がないと、やりとげるのはしんどそうです。ISBNコードを取得すれば、一般流通の本屋さんに置いてもらえるようになるので(もちろん営業次第)夢はあります。

 

isbn.jpo.or.jp

 

ひとり版元を立ち上げて小説を出版した方のnote

note.com

 

Podcast番組を拡張したい

これはまったく青写真も書けていない状態なのですが、Podcast番組の方もそろそろEP.100を迎えるのでなにかしらイベントをしたり特別なことをやってみたいなあという次第です。。。
Podcastは特にコンセプトもなく始めたので番組の方針バラバラ!ふらつきまわってますが、まあ楽しいのでよしとしましょう。

 

open.spotify.com

 

 

 

 

 

 

*1:日本国内で頒布を目的として発行された出版物は、原則として、すべて納本の対象となります(「納本制度の概要」より参照

何を着るかという問いー2026年のわたしの場合ー

服が好きだ。ファッションが好きだ。

 

 制服着用が義務付けられていた中学高校から私服通学になった大学生のタイミングで、自分は服を着るのが好きなんだと明確に自覚した。
皆一律に同じような服を着ていた時は退屈で、つまらなかった。自由に自分の着たい服を着れるようになってから、わたしは自分を表現する術をまたひとつ手に入れた。
街を歩いていて、「あの人の格好、派手だね」と後ろ指を指されても、七色に光るジャージだって、ヴィヴィアンウエストウッドのカラータイツだって、エキゾチックなプリントの古着のワンピースだって、なんでも着たし履いた。


 他のことでは人の視線が気になるのに、洋服に関しては自分の着たいものを、自由に意のままに身に纏っていたと思う。わたしの人生の中で、数少ない自分のエゴを突き通した部分かもしれない。
しかし、20代半ばから30代へと歳を重ねるにつれ、何を着ればいいかわからなくなった。わたしの生活は、自己表現から社会や自分の体調と折り合いをつける段階に来ていた。


 病を患い、長い間、腰のコルセットを嵌めて生活していた。それまで履けていたスキニーやタイトなボトムスが履けなくなった。リハビリで始めた水泳でどんどん肩幅が大きくなった。華奢なデザインの女性もののトップスが次第にサイズアウトした。
良くも悪くも体の変化に引きずられるようにわたしの自意識も変化していった。体調の都合で何年も大学を休学し、社会との接点が薄くなった負い目や引け目から、「病人のわたしがこんな素敵な服を着ていてもいいのだろうか?」という気持ちを生んだ。それは呪いのような問いとなり、わたしを自己表現のファッションから遠ざけた。


 治療目的で通っていた鍼灸院の先生に「君はいつも派手な服を着ているね。」と言われたこともきっと関係しているだろう。毎回、身につけているものを指摘され、「〇〇(ブランド名)の靴下ですね。」なんて言われて精神的に疲弊していた。今思うと境界線を超えてくる陰湿な嫌がらせだなと笑い飛ばしてしまえるが、当時のわたしはただでさえ体調が悪くて元気がないのに、自分の身につけているものをいちいち指摘してくるような人たちと戦う気力がなかったのだ。無駄な消耗と摩擦を避けたい。わたしは円滑な治療を続けるために、治療院にはヨレヨレになったジャージを着ていくようにした。

身につけているものからパワーを受け取ることがあるが、その逆もまた然りである。周りの目を気にして好きでもない服を着て「自分」の存在を消していると、自分への自信がどんどん萎えていった。

 


「最近の女性たちは世界中、非常にダサくなっていると思う。1日に何回もファストファッションで買い物するなんて、少しは疑問持てよ、と言いたい。「一着の服を選ぶってことは一つの生活を選ぶってことだぞ」って。だから俺は、そういったことに疑問を持つ女性のために作っている。」
山本耀司、WWDのインタビュー/ 23歳の記者から山本耀司へ37の質問 - WWDJAPAN より)

 

 

 服を着ることは自分の生活を選ぶことだという感覚。当時は欠落していたが、今なら山本耀司が言っていることがわかる。


一つの服を選ぶということは、世界の中でどういう自分で在りたいかを選ぶことだ。
どういうスタイルで暮らしていたいか。未来のわたしの姿を、衣服を使って表現しているとも言える。今、「どう」であるかは関係ない。「こうありたい」という願望を未来に向かって投げ込んでいく。それが服を選ぶことであり、服を着ることだ、と思う。

 

今のわたしは以前のわたしが着ていたような繊細でスタイリッシュな服は着れなくなってしまった。でも、「こうありたい」という願望に向かって服を選ぶことができている。寒かったり暑かったり、動きづらかったり扱いにくかったり。格好良くて美しい衣服はそれなりに欠点もある。リアルクローズとして着るには少々めんどくさい。でも、わたしは着たい服を着るのだ。心が華やぐ時を求めて。自分の未来の姿を今日もクローゼットに見る。

2026年を迎えたけれど

2026年になりも早くも10日が過ぎた。光陰矢の如しである。
新年を迎えたけれど、昨年起こったトラブルを解決するための作業で今月はスケジュールが埋まってしまった。なんとも悲しい幕開けである。

 

昨年末に引っ越しをして、夫婦二人とも初めての戸建てでの生活が始まった。フロアが一階と二階(プラスアルファ我が家は屋根裏もある)に分かれているのが新鮮。だけど階段の上り下りの移動が少し億劫で、トラブルのせいもあって私の部屋は全く片付いていない。このままだと一月、二月は片付けで終わってしまうのではないか。

 

2025年を振り返ってみると、後厄のせいなのか次から次へとトラブルが降ってきて、その処理をしていたら一年が終わってしまった。トラブル対応に追われて2023年から続けていたZINEの制作が止まってしまったのが悔やまれる。今年は一冊も新刊が出せなかった。


そして、2025年は人生で初めて一年で二回も引っ越しをした。……一年で二回ってなかなか大変ですよね?


住所変更に関わる諸手続きや、ガス水道電気インターネット等のインフラ開通、定期購読している雑誌の住所変更など、やることがたくさん。わたしの場合はリハビリも兼ねて通っているジム(プール)も新しく探した。生活の場が変わるというのは、自分のフィールドも併せて変化するのだ。新しい人間、新しい風景、新しい匂い。

慣れ親しんだ場所に通うことで精神が安定するタイプのわたしにはストレスが多い一年だったと言える。

 

昨年の事後処理に追われてまだ2026年のことを考える余裕はない。しかし、旧暦では2026年2月3日からようやく新年が始まるのだ。ならば、わたしにとっての新年は2月3日からということにして、それまでは厄年の事後処理に勤しむとしようか。


今年こそは心穏やかにのんきに楽しく過ごしたい。

「今年はどう過ごしたい?」と自分に問いかけると、「とどまらない。」とだけ答えが返ってきた。