ずっとVacation

毎日やっていくぞ

バラバラになった蝉の亡骸と20代の私の夢

梅雨が終わらないうちに夏がもう始まってた。

最近不運なことが続いていて、美容サロンに行けばビューラーを瞼に押し当てられ火傷をし、通っている鍼灸院では装置の装着ミスで火傷未遂しそうになり(挙げ句の果てに、あせもじゃないですか?と言われた。ふざくんな。) おとといは普段から通っているサウナで自分のペットボトルとサウナを取り違えられて高温サウナで喉をカラカラにしてミイラになるとこだった。

なに?なんか憑いてる?

美容院の予約の前に豊川稲荷神社に立ち寄る。 お稲荷さんにお願いごとした?と聞かれて、よく思い出せないが何かあったような気もしないでもない。 そういえば今年の2月に銀座の豊川稲荷にお参りしたような。

気だるい暑さの中、入り口がわからず迷いつつなんとか辿り着いた路地裏。 前回来た時は最近神社巡りに傾倒している母に連れられて来たんだった。 確信が持てないが、確かここだったはず、と記憶とGooglemapを頼りに辿り着いた社殿。(と言っていいのか悩むくらいこぢんまりしたサイズである)

財布にあるだけの小銭を賽銭入れに投げ込んで、なむなむと手を合わせる。

失念しているんですが、前回参拝したときになにか私はお願い事をしたでしょうかー、お礼参りを忘れているようでしたらこれをお礼参りとしてください。

しんとした都会の路地裏、神に祈りが届いてるかはわからないが、これで儀式は完了した。ひとまず。 思ったよりも参拝客がひっきりなしに来るようで、ぼけっとしていたらまたビルの角から地元の人らしき人影が見えてその場を足早に退散した。

結局、神社にお礼参りに行った甲斐なく、その日のランチで冷製パスタのトマトソースを白いTシャツにこぼすなどした。え、これは通常運転だって?

生活。 コマのように回り続ける意味。 ひとつひとつの事象に物語を見出していたら疲弊する。

「踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」

村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』のある一節が頭の中に浮かぶ。人生は無限雪かきで、ひたすらに目の前にある雪を退けていくしかない。 初めて読んだ中学生の時よりも、より実感を持ってこの文章を味わうことができる。 歳を取って良いこともあるもんだ。

意味を考え続けて疲れた、ここ数年。

神の思惑について類推することもはばかれるのは、人間の思考の埒外を超えているから。 旧約聖書ヨブ記における神について数年単位で考え続けていて、結論は結局そこに行き着いた。

神は存在する。 しかし、それはわたしたち人間にとって都合の悪い方向に働くこともある。わたしたちの思考の範囲を超えて、全知全能な神は力を及ぼし、時には(人間側から見て)不幸を与えることもある。そんな時、つい自分の不幸の意味を考えてしまう。そして勝手に絶望したりするわけ。

それでも踊り続けるしかない。 踊り続けるんだ。意味なんて考えてたってなにも始まらない。疲れるだけ。 踊れ。踊り続けろ。頭の中で言葉をリフレインする。身体に刻むこむように。 自分が納得できる意味なんてないかもしれない。 それでも、踊り続けるんだ。

湿った風が吹く。夏は始まっている。 セミは鳴く。 バラバラに潰れたセミの抜け殻がかつてのわたしを彷彿とさせた。